2010年6月9日水曜日

「わかる=かわる」が世界を変える

「情報」という日本語の単語には注意を払った方がよい。なぜなら、英語で言うところの「information」、「knowledge」、「intelligence」、「wisdom」に対して区別なく使われているからだ…と。そう示唆してくださったのは、日本を代表する自動車メーカーのデザイン部に長年籍を置かれていた方だった。このことを気がつかせてもらったことで、その後の情報ハンドリングに、それ以前と比べても鼻を利かせることができるようになった。

情報入手先が増え、多種で多義的な解釈や発信がネットの大河にはとめど無く流れていく。検索リテラシーが上がれば上がるほど、高品質な情報にアクセス可能になり、ニッチでロングテールな情報も居ながらにして入手できる時代だ。「知」は自分の体験だけでなく、その多くが明らかに自分の外部に存在しているのだ。おまけに「知」は技法やノウハウ本、マニュアルとしてパッケージングされ提供されるほど絶賛氾濫中!…ときている。情報は与えられるもの…との勘違いが生まれる背景にフォーカスすることで、情報の質を吟味すべき…と考える。
「わかる」ことは「かわる」こと…は養老孟司さんの著作タイトル。知ることで人は変わる。逆に言えば、変わらなければ、解っていない…ということだ。

iPadに続いてiOS 4を伴ったiPhone 4がロールアウトした。性能、機能のグレードアップは反響が物語っているが、他の製品との違いを上げるとしたら、最初からの全部盛りでなく、「解ることから作られてる」と思える点である。それは日本のケータイのような分厚い取扱説明書を同梱してないことから窺い知れる。iPhoneの3つの骨は、電話、メール、ネットだが、これはすでに皆が解ってる内容。それ以外の事柄については、1つ解る度に使い方を変化させていける余地…或いは地平が用意されている。
解ったら変わってください…そしてまた解ってください…変わるために。段階を追った達成体験のプログラムが事前に仕組まれているプロダクトはそうは見当たらない。さり気なく成熟を即され、身体が解ってしまうのだ。これは避けられない。

「今、新品のiPhoneをもらったとしても嬉しくない。なぜなら数ヶ月間生活を共にしてきたiPhoneの方が使いやすさは数段上だから」…という、どなたかのツイートが頭をよぎった。
Follow us. You'll be able to change the world, on your hands…iPhoneからのメッセージをそう聞いた。


2010年6月5日土曜日

デザインの装熟度

ファッションは個人の自由であり、自己表現の一つだ。また、そうでなくてはならないとの思いも強い。時代と世代、趣味とコミュニティ、気分とスタイル…どれも自分を中心に置いて考えることができるのだが、世界を見渡せば、それを許してもらえない社会があるのも現実。日本で暮らしている我々は、選択の自由を謳歌できる社会に属しているのだ。個人の表現としてのファッションは、人生の年輪に沿って成熟しつつ楽しむ…を基本と考えたい。

一方、自分のファッションは他人にとっての背景(環境)だ…という、とあるファッショデザイナーの方の言葉にも出合ったことがある。視点を向こう側に置いた見え方なのだか、この考え方は大いに共感できた。相手からみれば、自分越しに視界に捉えている街並みや通り過ぎる人々が、相手から見た世界の全て。自分は相手が主役の物語りに登場するキャストの一人である…という立ち位置から出た言葉だ。デザインを考えるスタンスとしてはもちろんだが、装う意識の中に留めたい感覚だ。

衣替えの6月。地下鉄のエスカレーターで、スーツにネクタイ姿の30歳前半と思われる女性とすれ違った。どこかのユニフォームかとも感じたが、デザインと仕立ての感じがそうではなかった。さり気なく洗練された自然な印象は、一瞬のすれ違いだったが素敵な余韻を残してくれた。

「デザインされない普通がいいんですよ…」というデザイナーに限って、スーツにネクタイという、ごく普通の装いでいる姿を見たことがない人もいる。そんなことが頭をよぎったが、日常的にビジネススーツの人ほど非日常を欲してるのかも…との思いもよぎった。「スーツの適齢期」という本では著者独自の哲学を表す言葉として「装熟度」という語を用いていたことも思い出した。「デザインの装熟度」…そう、そうなのだ。そういう言葉でデザインを語っていきたい…という思いが強くなってきている。 (テツタロウ)

2010年6月1日火曜日

観て察すること…の観察?

「視野角」は、液晶ディスプレイが正常に見える範囲の角度を指す言葉として使われている。英語に直すとViewing angleとなるようだ。一方、カメラで撮影できる範囲についても「視野角」が使われたりするが、こちらの英訳はAngle of viewとなり、同じ意味の日本語としては「画角」の方が馴染み感が強い。

そういう曖昧な単語を新設のブログタイトルにしたのには、単語に含まれてる「立ち位置」に関係している。目の前で観察できる事実…現象も、立ち位置が変われば受け取れる情報も異なる訳で、同じ出来事を捉えていながらも、そこから生じる感情は同じではない。もし似通っていたなら、それまでの体験に共通する要素があったのだ。

「デザインの視野角」は、日本においては、未だに特別扱いされがちなデザイナー…という職業を強調する意図は無く、感じたままの感触の記述を目標としていく考えだ。観て察する…と書く「観察」…をしている自分の感性を観察してるようにも思えるが、それを好しとしてしまっているのだから仕方がない。お付き合いいただける方がいれば幸いである。

そのような趣旨から、このブログは、極力感じた刹那に断片を書き溜めていくために、iPhoneとiBloggerを使った更新を試みていることも付け加え、ブログ新設の記録としたい。

ではまた、次回に。(テツタロウ)


「デザインの視野角」をスタートいたします。

So-netブログ内に「Seeds of Design!」というタイトルのブログを開設したのが2007年6月。「プロダクトデザインのためのアイデア・フラッシュ & レビューLOG」というサブタイトルが示す内容でブログを始めてからまる3年が経過しました。その間、事務所所在地は、天王洲アイルから青山へ、そして2010年の2月に中野へと移り変わりました。デザインやデザインワークを取り巻く状況も進化や変化の中にあることを実感する日々です。
企業の中期計画の単位になっていることからも、モノゴトの区切りには適している「3年間」という時間。「Seeds of Design!」が4年目に入る今日から、140字では収まらない内容について、この「デザインの視野角」を通じて記録、発信を行っていこうと考えています。